ウルトラマンメビウスのファンサイト・メビウスベルト・原田昌樹監督追悼ページ

【原田昌樹監督追悼ページ・あの空でまた会いましょう。】

ウルトラマンシリーズ監督 原田昌樹画像
原田昌樹監督とハネジロー【イラスト・ボンゴレロッソ】

ファンが綴る、原田昌樹監督との思い出

時は98年9月頃、ハネジローはやってきた。
ハネジローとは、ウルトラマンダイナに登場した、レギュラーマスコットキャラクターのことです。 その珍獣パムは関係者のお話によりますと、なんと原田昌樹監督によって命名されました、もとい違いました、 スポンサーさまでした。

原田監督のトレードマークは、キャップと色メガネ。
関係者の思い出に強く残ったという、ハネジローデビューのエピソード。 その再現をお願いしましたところ、それはこんなシーンでした。
「聞いて驚け。ハネジローだ!羽根があるからハネジロー!」
そんな監督の第1声の発表にドン引くスタッフ一同。
「なんだよその反応は」
「安直ーー!!ハラダさんセンスねぇーーー」
「オレじゃねーよ!スポンサーさまのネーミングだよ!」
「ほんとだって!(マジギレ)」
こんな会話が当時代々木上原にあったウルトラマンCGルームで、交わされたそうです。

レギュラーキャラということで、この子には力を入れたい。ただの人形操演だけではなく、 うまくCGと兼用してこの子に命を吹き込みたい、というのが原田監督からのオーダーだったそうです。

「ハネジロー」の声を担当していたのは、 スクリプターを担当していたスタッフの女性で、 その声をピッチを上げるという加工をして、使用していたそうです。 劇場用新作で久しぶりに「ハネジロー」の声が流れます、 原田監督の最期の日記に嬉しそうにそうに報告されていました。

ハネジローは原田監督のウルトラマンシリーズの作品中、最も愛したキャラクターだったとお聞きしました。 小さいお子さん達のために本物のハネジローをわざわざ呼び出して「そぉ〜っとだよ」とまるでご自分が、 いたずら小僧のような表情で、子ども達に 向けられたという、その笑顔。

ハネジローは、その登場から#47「さらばハネジロー」で番組を去るまで、 そしてOVで発売された「帰ってきたハネジロー」も、 原田監督が愛を込めて育てていったキャラクターだったのです。おそらくこのハネジローがあって、 後の「ブースカ!ブースカ!」につながっていったのではないでしょうか。

原田監督ご自身のモットーが、女性を綺麗に撮る! 心温まる作品を作る。というもので、女性を撮らせたら超一級の監督でしたが、 こういった可愛らしいキャラクターを撮っても、本当に可愛らしく描くことが出来る方でした。

ある日、原田監督ご自身の公式サイトを創りましたと私もご紹介いただいたのですが、それは、それは、酷いもので、 泣けるくらい酷いもので、それを拝見しました瞬間、マジギレした私は、「どこの業者にあれは頼んだのですか」 と怒りに任せて原田監督にお聞きしました。てっきり、ぼったくられたと思ったからです。

htmlもデタラメのサイトを業務用ソフトで、見てくれだけはよいが、簡単に作り、 法外な値段を要求する優しくない業者がたくさんいて、それにひっかかったなと思ったのです。

そうしたら、かの原田監督からペコペコと「ちよっと、どこがどれだけ酷いのか教えてくれませんか」という。 まったく監督という言葉のイメージからかけ離れた、大人しくて、叱られた犬っころのような感じでした。 今にして思えば監督に対して、マジギレする人も少なかったのではないでしょうか。

「アレは、私が作ったんです汗」
どんだけぇ〜。

お金を出してちゃんとしたものをプロに頼みませんか? 何しろ天下の原田監督の公式ですよと。そうアドバイスしたのですが、頼まないという、 ただ、検索にはどうやったらひっかかりますかと。

原田監督は、ネット検索の達人で、少ない情報量からすぐに誰かのサイトを 瞬時に特定して、BBSがあれば風の様に、稲妻のように現れては書き込んで常駐する、 という変なおじさんだったとお聞きしました。

メビウスベルトの公開チャットにもなんの躊躇も屈託なく、ファンの中に飛び込んでいただけて、 驚いて、興奮したファンが思わず「原田昌樹」 と呼び捨てにした勢いには、みんなで 大笑いしました。その時はハンドルを原田と普通に打ち込まれていらしたのですが、ネット上は 「食いついたら離れない!すっぽん大王参上!」と競馬からそのハンドルが由来されていることもお話いただけました。

そんなネットの達人、原田監督の公式サイトは、最低限の手直しとアドバイスを何度かやり取りしましたが、よく、よくみましたら、そもそもジオシティだったので、 思わずうめきました。

おまけにその時、やはり知識のある方から「まぁ、とりあえず、監督、タイトルくらいはいれましょうや」と トドメのようなアドバイスを刺され、監督はきっと、とほほと思われたのではないでしょうか。

私の原田監督のイメージはとても温和でどちらかというと、お顔とは不釣合いに相手に押されると、たじたじとするような、 そんな優しい人でした。

昨年から余命を宣告されていた、原田昌樹監督は、 遺作である「審理」の初号試写が3月25日にあるので、それまでは絶対に生きる、と宣言し、 頑張っていらしたのですが、その願い叶わず逝ってしまいました。

今年2月24日、かなり根をつめた撮影中に、2週間も高熱が続く、しつこい風邪を引いた、参っているという発言があり、 それが結果的には進行がゆっくりであった、病魔に致命的な影響を与えてしまったのでしょうか。

監督は、かなり前から告知宣告を受けながら、病と闘い、気丈に自らの精神力とも闘っていました。

私のウルトラマンシリーズの感想だけは、いつも見に来てくださっていました。 ファンが番組に対してどう思っているのか、どう感じているのか、監督として、もの造りのプロとして、 どんな小さな声も聞きもらさないという姿勢でした。ハートフルで空を仰ぐような作品が多かった原田監督は、 多くの子供たちに、その温かな心のフィルムを伝えたかったのかもしれません。

監督は現場では、厳しい人であったとも聞きます、それは、精神がそうだったのではないか、と監督を知る人は語ります。

競馬好きであった監督は、あの最後の前夜、すでに自力で、数メートル歩くのすら困難な状態で、 どうしても会いたかったと病院を外泊し面会した、 旧知のメンバーに自らの灯火が残り少ないことを告白し、府中競馬場を通過するとき「僕のホームグランドです」 とゆっく、ゆっくり、息が整うことを待って、おっしやっていたとか、またダービーが出来るようになるかなと。 そうして、自宅に入っていくうしろ姿が、みんながみた監督の最後の姿だったそうです。

徳永英明の「いい日旅立ち」に見送られた原田監督は旧知の友人たちにちゃんと別れを告げて、 最後までかっこつけて、旅立っていきました。

監督、お疲れさまでした、夜半降っていた雨も、曇天であった空も、お式のころには見事に晴れましたね。 原田監督が晩年、最も愛してやまなかった作品でもある 「魔弾戦記リュウケンドー」の主役・山口翔悟くんが弔辞を務め。

その後に参列するリュウケンドーとリュウガンオーの着ぐるみ。 この着ぐるみは、原田監督が現場で演出をつけたスーツです。 撮影時のアクションで刻まれた無数の傷。この傷ひとつひとつに原田監督の想いが刻まれています。

原田監督の遺影が笑った様に見えます。 会場から溢れるほどの仲間や、関係者、ファン、そしてリュウケンドーと鳴神剣二が来てくれたましたよ。 原田監督よかったですね。

ウルトラマンシリーズ監督 原田昌樹画像
原田昌樹監督旅立ちを見守った夕日

ファン一同、遠くからご冥福をお祈りいたしておりました。 陽気な監督のこと、笑ってお見送りをとみなさん思っていらしたようですが、 やはり号泣されてしまったとか、原田監督は我々より一足先に、円谷英二監督のところにいらしてしまいましたが、

残された作品には監督の志や想が残り、そして私たちの心の中にも生きつづけています。 いつかみんな旅たつでしょう、監督、もう円谷英二監督とは会えましたか、あちらでも、「ヨーイ・スタート!」 と頑張っていらしゃいますか、その時にまた、監督ともお会いできることを楽しみにしています。

ウルトラマンシリーズ監督 原田昌樹画像
原田昌樹監督へのお花、弔電【ファン一同・レイゴ・ゆーこ、ゆうはは、ばーなーおん、ちゃむ、うーちゃん】

ウルトラマンシリーズ監督 原田昌樹画像

ファン追悼 原田昌樹監督と平成ウルトラ

原田昌樹監督は平成ウルトラ、特にティガ、ダイナ、ガイアの平成3部作では大きな役割を果たしました。 初演出はティガ第29話「青い夜の記憶」で、この回では劇中歌の作詞を手掛けるほどの役割でした。 その後、ウルトラQダークファンタジーまで合計42本を演出されました。 これはウルトラの歴代4位(1位は村石宏實監督の73本、2位北浦嗣巳監督48本、3位筧正典監督46本、5位山際永三監督37本) の記録で、大変なものです。

 原田監督がティガでは4本のみの演出ですが、クライマックスの「ウルトラの星」 (満田かすぼ監督との共同演出)、「もっと高く!Take Me Higher」というきわめて重要な話を手掛けられています。 「ウルトラの星」は昭和ウルトラを手掛けたスタッフに加わってのものですが、 ウルトラ創世記の物語を理想的に展開していました。 この話で、ウルトラ創世記の人間たちの苦労が伝えられ、 何より、過去のヒーローとの共演が理想的な形で成されたことは、 その後の平成ウルトラでヒーローの共演が上手く描かれたことを思うと、大変重要です。

そして、「もっと高く!Take Me Higher」はティガの頂点であり、ヒーローが自らの正体を明かすシーン、 昭和ではセブン最終回、エース、レオ最終回にあるものを、ここではヒロイン側から正体に気づく形で、 ドラマを緻密に描いていました。ここでも、主題歌のリミックス版を使うなど、凝った演出で見せてくれました。 多くのウルトラファンが、この話で原田監督の力量を認めたと思います。 ティガでは、メインを村石監督、サブテーマを川崎監督が描いていましたが、 この「もっと高く!Take Me Higher」」で、原田監督もティガに欠かせない存在となりました。

 ウルトラの監督を分類すると、正統派のヒーロー者を作る人と、 異色路線に分かれますが、原田監督は双方で名作を作られました。 脚本では大田愛さんとのコンビが素晴らしく、原田監督の視点には、「子供」を正統派ジュヴナイル系の視点で描くものがありました。 その典型が、ダイナ「少年宇宙人」です。

この話は、宇宙人として覚醒する少年とその周囲を描いたもので、 従来、子供を主役にした話は、ウルトラでは特に第2次シリーズで子供だましなどと批判されていたテーマを、 しっかりした視点から描きました。この話が秀逸なのは、子供が主役ながら、視点を大人のものも交えて、 極めて高度なテーマを描いたことです。覚醒する少年にあえて救いを与えず、 自らの手で進路を切り開くことを求めたものは大変なものでした (この話で、ラセスタ星人を、自分で飛び立つことをさせて、ダイナは一切手助けしなかったのは大変なものです)。

子供を出すものの、それを子供向けの視点で終わらせない点は立派でした。こういう話が出来たからこそ、 平成ウルトラが大きな成功を収めたと考えます。

 また、ウルトラで、ヒーローと怪獣の格闘シーンがない(に等しい)話も昭和にはなかったもので、 少年宇宙人のほか、遠い町・ウクバール、雪の扉と、原田監督の作品にこのタイプが多いのです。 こういう話は、下手したらウルトラマンの存在意義が問われかねないのですが、 その問題をクリアして、新たな展開を見せてくれました。平成ウルトラは、昭和ウルトラの焼き直しではなく、 新たな視点を導入して、昭和にない魅力を見せてくれました(だからこそ、断続しながらも10年以上続いています)、 その平成ならではの魅力の一旦を作るに大きな尽力があったのが、原田監督です。

 原田監督の貢献は、コスモスでも見事でした。コスモスでは、原田監督、 「時の娘」前後編でコスモスの魅力を完成させた人です。 この話は宇宙人に操られて生きている女性とムサシの交流、怪獣保護の大変さを描ききりました。 コスモスでは、今まで戦っていた怪獣を保護するなど、偽善も甚だしいという批判も数多く寄せられましたが、 この回では、怪獣保護はある意味、戦うより大変なこと、そして、命の意味を感じさせるものであり、 ヒロインを活かすことと、敵を倒すことは両立せず、その選択にムサシを立たせて、 コスモスのテーマを完結させた面では素晴らしいものです。

この「時の娘」前後編は、一種哲学的な内容を持った、それでいて難解ではなく、 良く見たら理解できるもので、コスモスで、怪獣を倒さないという理想を掲げた意味を完結させた、 コスモスの金字塔と思います。

コスモスでは、原田監督の初演出である「落ちてきたロボット」でも、 「少年宇宙人」につながるテーマを見せてくれました。 コスモス全編を通して、原田監督は戦いではなく、共存というテーマを重視して、 コスモスで最後に演出された「復讐の空」は、コスモスのテーマを集約させたものでした。

コスモスで、原田監督の作品は地味な印象ながら、原田作品がなければ、コスモスが高く評価されたかとまで思われます。  原田監督の平成ウルトラは、ウルトラQダークファンタジーで終わりますが、ここでも、 大田愛脚本とのコンビで、秀逸なものを見せてくれました。

 それにしても、原田監督が若くして亡くなられたのは、本当に衝撃的でした。 実は、昭和ウルトラは、メインスタッフが若くして亡くなりながらの歴史でした。 円谷英二監督(70年没)、円谷一監督(73年没)、大伴昌司さん(73年没)、 金城哲夫さん(76年没)、岸田森さん(82年没)、平田昭彦さん(84年没)と、 たくさんの人の訃報にファンはさびしい思いをしてきたのです。 しかし、今は天国で新しいウルトラマンがこの人たちにより作られていると信じたいです。

 ウルトラの歴史は続きます。一時、ウルトラが断続した時は、もう復活などあり得ないと、 何度もあきらめましたが、平成のウルトラが昭和を上回る継続を見せているのは、驚くべきことです。 この火を絶やしてはなりません。  原田監督の灯された平成ウルトラの炎は、ファンの心の中で永遠に生き続けるでしょう。

ウルトラマンシリーズ監督 原田昌樹画像
原田監督最後のウルトラマンシリーズになりました「ウルトラマンコスモス」より、 たくさんの怪獣たちに囲まれる監督。

【原田昌樹監督によるウルトラマンシリーズ作品】

プロフィール

2月28日没 享年52歳

文/レイゴ・棺桶のジョー イラスト/ボンゴレロッソ 画像/kura/協力 あしやん

ページのTOP

メビウスベルト