ウルトラマンメビウスのファンサイト・メビウスベルト【ウルトラマンメビウス 第32話「怪獣使いの遺産」マニア 考察】

ウルトラマンメビウス 第32話「怪獣使いの遺産」 マニア考察ハードバージョン

シリーズ構成:赤星政尚、設定考証:谷崎あきら、脚本:脚本:朱川湊人、監督・特技監督:八木毅

メビウスマニアライター・T2-0

いつの頃なのか、ある河原に地面を掘り返す一人の若者の姿があった。 若者は、何日も河原を堀り続けていたのだ。ある少女にその訳を尋ねられ、若者は答えた。 「円盤を探しているんだよ」と。そんな彼は、町の人々に宇宙人として恐れられていた…。

ある日、GUYSは地球に接近する一機の未確認物体を捕捉した。 そして飛行物体の落下予測地点であるタクマ山は、みやま保育園の遠足の目的地であった。 今まさに園児達はそこへ向かっていたのだ。

GUYSは直ちにガンウィンガーで出動!テッペイ(内野謙太)の分析では、飛行物体内には巨大生物の生命反応があり、 怪獣が搭載されていると推測された。これを危険視し、先制攻撃を主張する リュウ(仁科克基)とトリヤマ補佐官(石井愃一)。しかしサコミズ隊長(田中実)は、 まず来訪者の目的を確認するよう命じる。

隊員たちは地上に降り、探索を開始した。そしてミライ(五十嵐隼士)の前に、 メイツ星人・ビオと名乗る宇宙人が姿を現した。地球と友好を結ぶために来たと語るビオは、 ミライがウルトラマンメビウスであることを知っていた。 そしてビオは、ウルトラマンは地球人の兵器だと語り、怪獣を連れてきたのはメビウスの攻撃に備えてのことだと語った。

さらにビオは、三十数年前の事件を語り始めた。 三十数年前、気象観測のため一人のメイツ星人が地球に降り立った。しかし、 彼が宇宙人であることを知った一部の地球人は恐怖に駆られ メイツ星人を殺害したのだ!ビオにとってこの事件は、 地球と友好を結ぶ前にどうしても解決しなくてはならない問題であった。 これを「地球人とメイツ星の間の問題」と語るビオ。そしてミライも、 平和的な交渉がなされることを条件に、これに介入しないことを約束する。

お互いに一歩を踏み出すミライとビオ、その時!ビオの腕を一条のビームが貫いた!!ミライの身を案じたリュウが、 ビオを撃ってしまったのだ!!

GUYS基地では、この報告に関する確認が行われていた。ドキュメントMATに残された記録を「悲劇的な事件」 と評するマル(まいど豊)。「なんとなく分かります。 いきなり目の前に宇宙人が現れたら誰だって怖いと思うんです」、 そう語るテッペイに「だから勇気を持って話し合うことが必要なんだ」と語るサコミズ。 そのサコミズの言葉に、コノミ(平田弥里)は言った。「園長先生も、隊長と同じことを言ってました」と。

地球人に絶望したビオは 、平和的な交渉を破棄し武力侵攻を決意した。 ビオは地球人に対し、三十数年前の事件の賠償として地球上の大陸部の20%を要求。 宇宙船で町の爆撃を開始した!サコミズは三十数年前の出来事に心を痛めながらも、 町の人々を救うため宇宙船の進行阻止を命じた。 ジョージ(渡辺大輔)とマリナ(斉川あい)がガンウィンガーで宇宙船に挑む!

傷を負ったビオは地球人の姿(吉田智則)となりうずくまっていた。そこに 、保育士に引率され避難していた園児達が通りかかった。緑色の血を流すビオに恐怖する保育士。 しかし園児の一人は「宇宙人だって怪我をしたら痛いよ」と言うと、ビオにハンカチを差し出した。 それに続き、ビオに近づきハンカチを差し出す幾人かの園児。 「ミーコちゃん、立派よ」、同行していた園長(斉藤とも子)はそう言うと、ハンカチでビオの傷口を手当てするのだった。

そこにリュウとミライが到着した。なおも平和的解決を呼びかけるミライ。 しかしビオは円盤による攻撃を止めようとはしなかった。地球人とメイツ星人の狭間に立ち、 苦悩するミライ…、しかし、そんなミライにリュウは言った。

「ミライ、何やってる?町が大変なことになってんだぞ!」、 その言葉に促され、遂にミライは変身した!メビウス出現!しかしビオは、怪獣ゾアムルチを覚醒させた! メビウスの前に立ちふさがるゾアムルチ!!ビオはリュウに語った。三十数年前、地球人に殺害されたメイツ 星人は彼の父親であったことを。

ゾアムルチはビオの脳波と連動し、彼の怒りにより動いていた。劣勢に陥るメビウスを見て勝ち誇るビオ。 そのビオに、保育園の園長が話しかけた。 「お会いしたかった」と。数十年前、 円盤を探すため河原を掘り返していた少年に話しかけた少女…、それは園長だったのだ。 彼女は続けた。

ビオの父親は、地球で一人の少年と暮らしていたこと。そして少年は、 メイツ星と地球を結ぶ架け橋になることを望んでおり、 それはビオの父親が望んだことであったことを。良少年の言葉に感銘を受けた少女は、 いつしかその言葉を他人にも伝えたいと思うようになった。そして今日、保育園の園長となっていたのだ。 「あなたのお父さんが地球に遺した愛情という遺産は、私の園の子どもたちが受け継いでいます」。 その言葉に、手当てを受けた腕をじっと見つめるビオ。リュウは言った。 「俺が言えた義理じゃないのは分かってる。でも、もう一度地球人を信じてみてくれないか」。

いつからか、激しい雨が降り出していた。雨に打たれながらビオは慟哭する。 「もう一度地球人を信じてみようという気持ちが起こっているのに…、憎しみが止められないんだ!!」 「私の憎しみを消し去ってくれ、ウルトラマンメビウス!」 その声が届いたのか、メビウスはメビュームシュートでゾアムルチを撃破するのだった。

ビオは、虹のかかった青空を見上げていた。その傍らにはリュウとミライがいる。 ビオに向け、握手の手を差し出すリュウ。しかしビオは言った。 「握手は、父の遺した遺産の花を見届けてからにしよう」。 その言葉を残し宇宙船に乗り込んだビオは、メイツ星へと飛び去るのだった。

河原で穴を掘り続けていた少年、彼の行方は誰も知らない…。 しかし彼の姿は、あの日の少女の心の中に今なお焼きついているのだった。

ウルトラマニア考察

今回の「怪獣使いの遺産」は、帰ってきたウルトラマン第33話「怪獣使いと少年」 の続編として位置づけられる作品です。 重いテーマと鮮烈な映像表現で知られる「怪獣使いと少年」は、今日でもしばしばファンの話題となります。 その続編のシナリオを直木賞作家である朱川湊人氏が執筆するということで、 今回のエピソードは放送前からファンの注目度の高い一本でした。

さて、放送された作品を見た印象ですが「現実を描いた旧作」に対し 「理想を描いた新作」という表現ができると思います。ウルトラマンメビウスは、基本的に「希望」や 「理想」を描こうとしているシリーズです。その 「メビウス」というシリーズの一本として、今回のエピソードの着地点は妥当ですし、 納得できます。旧作のファンとしては「続編としては綺麗事に過ぎるのではないか?」 との感想を抱いてしまうのも事実ですが、憎しみの連鎖を断った作劇と、 それに説得力を持たせた展開は高く評価したいと思います。

今回の展開の要諦は、怒りに駆られたメイツ星人・ビオが地球侵攻を決意するあたりでしょう。 異質な者を排除せんとする地球人に絶望し、攻撃を開始するメイツ星人・ビオ。しかし、 この時点でビオは地球人を批判する資格を失っています。 怒りにまかせ侵攻を開始したメイツ星人・ビオは、恐怖に駆られメイツ星人を惨殺した地球人と 同列の存在になってしまったといえます。

不愉快な存在がある時、それを力で排除してしまいたいと思ってしまう…。 そのような考えを持つこと自体は人間である以上避けられないことです。 今回の劇中で純粋な存在として描かれた子どもたちですら、一方では無邪気に 「怪獣ならGUYSがやっつけてくれるよ」と力の論理を口にしています。この描写は深いものがあると思います。

さて、「そのような考えを持つ」ことと「実際にそれを行う」ことの間には大きな差があります。 「暴力を用いたい」という衝動に駆られたとき、それを抑えることが出来るか? 他の手段を用いることを考えられるか?ということは重要なことです。 今回のエピソードでは、サコミズのセリフでそのことが言及されていました。

意思の疎通が可能なもの同士であれば、言葉や態度で理解しあうよう努力すべきである…、 しかし言葉による相互理解とは案外難しいものです。そして、人間はしばしば暴力による解決に走ってしまいます。

「怪獣使いと少年」では「なぜ人間は時に残酷な行為に走ってしまうのか」ということを語っていました。 人間は、その暴力に正当性が与えられたとき、自分を被害者だと感じたときに、 容易に暴力を用います。思えば三十数年前の悲劇も、自分を被害者と感じた者たちの力の応酬の結果、 起きてしまったものでした。

下駄履きの中学生が良少年に振るった暴力に対抗し、 メイツ星人が良少年を救うため使った超能力。それは、ますます良少年を悪い立場に置いてしまいました。 メイツ星人の念力によると思われる「真空投げ」や「犬の爆砕」は、 良を襲った少年たちの恐怖を増幅させたことでしょう。 その結果、ついには民衆を暴走に駆り立ててしまいました。

今回のメイツ星人・ビオも、怒りと悲しみに支配され、力により相手を屈服させようとする道を選んでしまった。 そんな彼の攻撃により被害を受けた町の人々はビオを憎むでしょうし、 彼の怒りを受けて暴れるゾアムルチもまた、ビオの直接の犠牲者といえます。 「怪獣使いと少年」に見られた憎しみの連鎖や、「被害者が加害者となり、加害者が被害者となる」 という図式、そして「力を振るうことに正当性が与えられたときの恐ろしさ」という視点は「怪獣使いの遺産」 にも確かに引き継がれています。

暴力以外の手段を採ることの難しさと併せ、「怪獣使いと少年」や「怪獣使いの遺産」 で描かれていたもう一つのこと…。それは「自分が真に正しいと思うことを行うことの難しさ」でしょう。 これは、他人がそうしていない時には特に勇気が要ることです。 「怪獣使いと少年」では、少年たちのような積極的な加害者のほかに、心ならずも良少年を阻害する人が描かれていました。「あとで(町の人に)いろいろ言われたくないから」と、良にパンを売ることを拒むパン屋の女主人がそうです。わが身可愛さに、積極的ではないにせよ人を傷つける側に加担してしまう。辛いことですが、それは現実にはしばしば起きることです。そして、この直後の場面、良にパンを売り「いいじゃない、だってうち、パン屋だもん」と微笑むパン屋の娘が描写されます。この場面は「怪獣使いと少年」の中で唯一、優しさと救いを感じさせるものとなっています。

「怪獣使いの遺産」では、そのような優しさを持つ存在としてみやま保育園の園児たちが選ばれました。 このような作劇の中で、このような役割を子どもたちに与えたのは常套的ともいえる手法です。 しかし注目すべきなのは、ビオにハンカチを差し出す子がいる一方、 その背後に行動を起こしていない子も多数見られるということでしょう。 そして、それは決して責められるべきことではありません。

前述のとおり、自分が正しいと思うことを行うためには勇気が必要だし、 「理想」だけでなく「現実」的な視点に立いば、ビオに近づかないという判断のほうが正しいかも知れないからです。 そして、現実に生きる人間は、そのような意見や価値観の相違を受け入れながら、 他者と共存していかねばならない。そこにこそ現実の難しさがあると思います。

怒りに震え侵攻を決意するビオ。彼は、三十年前に地球に降り立ったメイツ星人の息子でした。 円盤で、そしてゾアムルチで、町を蹂躙するビオ。そんな彼の心を動かしたのは、 みやま保育園の園長でした。タイトルの「怪獣使いの遺産」の意味が明かされるこの場面には唸らされます。 この「遺産」というタイトルには、ほとんどの人がネガティブなものを感じていたのではないでしょうか。 それを覆すこの意外性、常にミライを見据えようとするこの姿勢こそが「メビウス」というシリーズのカラーのように 思えてなりません。

地球人とメイツ星人の狭間で悩みながらも、ミライはメビウスに変身します。 「私の憎しみを消し去ってくれ!ウルトラマンメビウス!!」、ビオの絶叫はメビウスに届いていたのでしょうか。 彼の懇願の直後、メビウスはゾアムルチの光線を敢えてその身に受けたように見えました。 それはメビウスが、ビオの痛みを少しでも理解するためにしたことなのでしょうか。僕にはそう感じられました。 この雨の中での戦いは「怪獣使いと少年」のそれを意識した演出となっており、 視覚的にも大変見ごたえのあるものに仕上がっています。

不完全な存在同士が歩み寄り、より良い道を模索すること。それが「怪獣使いの遺産」のテーマだった。 そう僕は感じています。そして、地球人とメイツ星人双方の不完全さ、心の弱さが、 このエピソード内には様々な形で織り込まれています。そのような描写があったからこそ、 激しい雨の中「憎しみが止められない!」と慟哭するビオの描写が活きてきます。そして地球人と変わらぬ、 そのようなメンタリティを有しているからこそ、ビオの父親は良少年を愛することが出来たのでしょう。

このエピソードに不満点があるとしたら、良少年が宇宙船を探す動機が旧作から微妙に変わっていたことでしょうか。 地球に絶望した良少年が、地球を捨てるために行っていたはずの宇宙船探索。それが 「地球とメイツ星の架け橋となるため」宇宙船を探しているという解釈になっていたのは、 やや疑問でした。この心境の変化が納得できるものとして描写されていたら、 旧作ファンの満足度はさらに高まっていたでしょう。

この点は、その姿に感銘を受けたとされる園長先生の描写に直結する部分であるだけに、 しっかり描写されていれば説得力もより増したことと思います。

雨上がりの空を「美しい」と評したメイツ星人・ビオ。 次に彼が地球に来訪した際に見せるべきものは「今よりも優しくなったこの星」なのでしょう。 それを我々自身、実践していかなくてはいけないはずです。それは次世代のみの課題とするのは寂しすぎることですからね。 完全なハッピーエンドとせず、それを保留としたラストシーンにそんなことを考えさせられました。

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